昭和30年代は,私が小学から中学生になったころです。
その頃は,少子化なんてとんでもなく,私が中学に入ると1年は13クラス。上級生になるにつれて増え,2年15,3年18クラスだった。
私が育ったところは,約30軒くらいの集落が点在していた村(金沢市でしたよ)で,怖い長老がいて悪さをしたら追いかけてきたものです。
老:待てまんや。ダラども!
しかし,その言葉を信じるわけにはいきません。本当に杖で叩くのですから。
悪:何言うとるがいや,ぼっかけて来いまん。死んでもしらんげんぞぉ。
今じゃ,暴力事件です。でも,当時の老人達は60歳くらいで歯もなく(入れ歯なんてとんでもない!),腰も今の私のように曲がっていたけれど,皆威張ってました。
町内の「名物爺い」は,腰もしゃきっと伸びた「ゆるふん」(緩いふんどし)の老人でポロポロ顔を出す金〇の大きさに,私たちは憧れていたのです。
悪:見たけ。前川の爺ぃのでっけぇ金〇。
私:うん,すっげぇ~でっけぇじぃ!
悪:やっぱ,あれくらいでっけぇ金〇にならんとな。
驚くほど大きい袋でしたが,脱腸と知ったのは亡くなった後。爺ぃの拳骨の倍はあったっけ。
この時代,例年の顔馴染みとなった老人達がやってきて,村人総出で稲刈り作業でした。
子どもが持つと危ないと言われることもなく,切れ味の鈍い鎌を持たされ手伝わされたものでした。
脱穀作業も手作業でしたが,ワラが汗交じりの体に付くと痒くて我慢なりません。当時,「アトピー」も認知されてなかった時代です,アトピー患者の痒い気持ちが分かります。
稲刈りが終わった頃,終日,オッフェンバックの「天国と地獄」が鳴り響く運動会だ。
♪タン タ~ン タカタカタンタン タカタカタンタン...♪
簡単簡単と読めるかもしれませんが,オッフェンバックが61歳で亡くなったのは1880年10月5日。
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