高校のときに習った老子の「天地不仁,以万物為芻狗...」を最近目にする機会があった。
天地不仁 以万物為芻狗
聖人不仁 以百姓為芻狗
天地之間 其猶藁籥乎
虚而不屈 動而愈出
多言数窮 不如守中
天地は仁ならず 万物を以て芻狗(すうく)と為す
聖人は仁ならず 百姓(ひゃくせい)を以て芻狗と為す
天地の間は 其れ猶(な)お藁籥(たくやく)のごときか
虚(むな)しくて屈(つ)きず 動きて愈々(いよいよ)出ず
多言なれば数々(しばしば)窮(きゅう)す 中(ちゅう)を守るに如(し)かず
漢文の授業のようになってしまったが,私が記憶していたのはタイトルの文字だけ。
後はコピペであります。
どんなに頑張ったって天地は命を与え奪うんですよ。
好き嫌いに関係なく天地は平等でもありませんよ。
だから,成り行きに任せましょうよ。
適当だけど,こんな解釈じゃなかったっけかな?
(違ってたらごめんね)
政治の無策を嘆いたって,人知不徳で天地不仁であります。
天に唾するような私だからこそ「天地は仁ならず」であったし,これからもあるでしょう。
ただ諦めるしかないのかもしれないし,奮起してしゃにむに頑張ることもあるでしょう。
どちらを善悪で縛ることも無意味です。
立場が変れば価値観が違うんですからね。
頑張れなんて言えない私は,「為るようになる」と言いたい。
あの時必死だったな...と笑って言える日が来ることを待っていましょうよ。
昨日の寒の戻りで,被災地でふるえていらっしゃる皆さんには無責任でしたかねぇ?
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