豆腐の日。
もちろん語呂合わせ。こういった語呂合わせの記念日が増えたような気がするが,豆腐の歴史からすれば硬く考えずに,今日はありがたく豆腐をいただくことにしよう。
子供の頃,薄汚れた赤い箱を乗せた手押し車(リヤカー)を押しながら「プ~ポ~」と豆腐屋さんがやってくると,鍋を持たされ買いに走らされたものでした。
あれから40年(もう半世紀は経ったかも),商店街が活気を失い,いつの間にか豆腐屋さんも消え「プ~ポ~」ラッパも聞くことはなくなりました。
そして,豆腐の原料である大豆の高騰でさらに小さな豆腐屋さんは苦境に立たされている。
金沢にいったい何件の豆腐屋さんが残っているのだろう。
学生時代,合唱団の同級生U君の家業が豆腐屋だったので,仕送りも心細くなると彼の家に駆け込んで豆腐をご馳走になっていました。いつの間にか店の手伝いをするようになっていたものの工学部の私は徹夜レポート作成などで難儀していた頃,新人勧誘の時にキャンパスで高校の合唱部の後輩K君を見つけ強制的に入団させ,私の代わりに彼をアルバイトとして働かせたのでした。そして,私は相変わらず豆腐をゴチになっていたのでした。
U君は文学部を卒業後,店を継がず中国へ行ったかと思うと帰国し鍼灸を志し,店は鍼灸院に変った。だから,あの豆腐は二度と食べられない。
今も独身貴族のU君と警察官になったK君。二人とも早々に合唱に見切りをつけた。
私はいつになったら・・・。
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