今夜は,9月8日(土)に行われる『岩城宏之生誕80年記念メモリアルコンサート』で歌う,第九の2回目練習でした(私にとっては初回)。
合唱指導は,朝倉石川県合唱連盟理事長さん。
彼は疲れてるみたいで,休憩を取らずに午後8時半で終了。
明日の中公練習は大丈夫でしょうか?
今回の第九は,オーケストラアンサンブル金沢(OEK)の第326回定期公演フィルハーモニーシリーズで,井上マエストロの指揮。
いつもと違うのは文語体発音ではなく口語体のドイツ語なので,長く親しんだ発音が全て直されてしまい,これが実にやっかいなんです。
まぁ,何とかなるでしょう。
小団(ラ・ムジカ)練習を休んでの第九練習。
OEK合唱団が中心の今回の合唱団ながら団外メンバーが多いテナーは有り余るほど。
意気が上がりませんて。
石川県と富山県境を走る国道8号線の小矢部市側バイパス工事が完成に近づいた頃に,北陸地方独特の遺構である環状木柱列が発掘されたと報道されたのが一昔前のこと。
当時,仕事で小矢部・高岡に向かう時,高速道路を利用せず国道8号線を使っていたものでした。
だから,バイパス工事での発掘調査が長い間行われていたことを良く覚えています。
おっせ~(遅い)工事やなと呟きながら走っていたこともね。
34度と連日の猛暑の中,お得意先を出た後,裏道を走っていた時に出会ったのが「桜町 JOMONパーク」の案内塔。
あれれ,こんなのあったっけ?と思いながら好奇心の塊の私は途中下車。
展示室を一回りして裏手に行くと,復元「環状木柱列」が目に飛び込んでくる。
左手には,同じように発掘された種から実をつけた「ひょうたん」棚。
奥の方に巨大な「ひょうたん」が落ちないように網で支えられていた。
人間と同じように肥満も程ほどに...ってわけやね。
ひょうたんと言えば「瓢箪から駒」が思いつきますね。
(瓢箪くらいの大きさのものから,駒すなわち馬のように大きなものが出るようなありえない状況から)冗談や誤解で言ったことが意図せずに実現してしまうことで,世間に良くあることです。
「別れてやる!」と冗談で言ったことが本当になりそうになったことがありゃしませんか?ご同輩方。
でも,ここを目当てに来ない方が良いかも。。。
今日は,気温33度の富山。
こう暑くっちゃ堪らんとばかり,4ヶ月ぶりの富山市総曲輪のうなぎ専門店「川豊」さんへ。
実は,先月の20日前後に店に寄ったところ高騰するうなぎの価格調整のためか2~3日の休み中で,今日は改定された価格の「うな重」でした。
午後1時半過ぎの店内にはお客さんは少なく,それでも目の前のカウンターの中では注文があるのか焼きの熱気で私も食べる前から汗だくに。
いつもは,ちょっと見栄を張って「うな重 上」を注文していたのですが,2,300円 → 3,600円に値上がっていては見栄も見えなくなって,「うな重 並」を。
これも,1,900円 → 2,500円となっていたので,美味しくて縁起物であっても庶民の食べ物とは言えません。
ちなみに,「うなぎ 特上」は6,500円。
うなぎ専門店さんよ,これから大変でっせ!
金沢城を散策してきた。
金沢城の城門の中で,特に重要であった「石川門」「河北門」「橋爪門」がタイトルの三御門。
金沢城の表門だった「大手門」から入り,日差しを遮るもの何一つ無い「新丸広場」を抜け,2年前に復元された「河北門」を通り,「石川門」と「三の丸広場」の間の道を歩くと「石川門」内部への入り口が開いていた。(右写真)
出来上がったばかりの「河北門」は,ここを通るたびに内部への通路があるためいつも見ているが,「石川門」内部は恥ずかしながら今回が初めてでした。
ここは,金沢城の搦手(裏口)門で,高麗門の一の門,櫓門の二の門,続櫓と2層2階建ての石川櫓で構成された枡形門です。
この中に入ると視界が全く逆になり,いつも兼六園の方から「石川橋」を渡って通る門が右下に。
正面「石川橋」から入ってくる人の足が見えますねが,新鮮な風景です。
そうして,「橋爪門」復元整備工事を眺め,26間半の「三十間長屋」裏の間道を下りて「いもり坂」に出て,そこをを登って「色紙短冊積み石垣」前の「玉泉院丸跡」の発掘現場を見て帰ると丁度1時間。
「城門」「石垣」は,男のロマンですわ。
ほやろ?
タイトルは,昨年10月に滋賀県大津市の市立中学2年の男子生徒がいじめを苦に自殺したとされる事件に対して,市教育委員会教育長である沢村氏や学校ならびに警察がとった対応に対する非難でした。
当時13才の少年が「僕 死にます」と加害者少年にメールを送ったものの,中心的加害者はすでに県外の中学校に転校しているそうな。
話は変わって,5日に上野動物園で生まれたジャイアントパンダの赤ちゃんが急死した。
土居園長は「動物園ではいろんな動物が亡くなるが,今回は職員も徹夜で頑張っていたこともあり,彼らの顔を思い浮かべると非常に残念だ」と会見では涙を流し続け,途中では言葉にならなかったシーンもありました。
ところがどうです?
何度も会見した沢村教育長なんて,一度も悲しい表情を見せて言葉に詰まったことはなかった。
言葉を捜していたのは,薄ら笑いを浮かべて切り抜けようとしているとしか思えず,2代前の校長だった彼がとるべき態度ではなかったと思わざるを得んがいね。
パンダの赤ちゃんが病気で死んで園長は泣いて会見し,13才の少年が亡くなって「いじめ」と「死」の因果関係がありませんといけしゃぁしゃぁ言ってのける教育長の神経が分からんとこやて。
ほんないけ(そうじゃないでしょうか)?,ご同輩方。
昨日(23),小団(ラ・ムジカ)が野々市フォルテ小ホールで,「石川県立金沢中央高等学校」の校歌・応援歌の録音を行った。
学校HPの「沿革」を見ると,昭和23年に県立金沢第二高等学校に定時制課程普通科を設置したのを始まりとして,昭和27年に県立金沢二水高等学校定時制普通科と県立金沢董台高等学校定時制商業科と合併し,石川県立金沢中央高等学校として独立校になったそうな。
つまり,60周年記念事業としての校歌録音でありましたが,上手に歌えたのかな?
同時に行ったピアノ伴奏で,生徒さんたちは大きな声で歌って欲しいものです。
中央高校音楽室で何度か合唱練習を行ったが,夏だったか暑い時期の練習で,窓を閉めて歌った記憶がある。
20年以上も前だったろうか?
月日の経つのはあっという間です。
そうじゃござんせんか,ご同輩方?
最近,合唱団の切り替えが難しくなってきた。
カバンやファイルには常に3~4団の楽譜が入っているが,その予習や復習も(箱に書き入れるのと同じように)サボり気味だ。
そんな私は,土曜(21)日曜(22)と連日のメンネル練習に行った。
諸事情にて1ヶ月以上も練習に行くことができなかったので,「バーバーショップ」の新曲には閉口するばかり。それでも同じパートの連中はほぼ完璧に歌ってる。
暗譜に向けて一頑張りせにゃなりませんね。
その土曜の練習前に,「金沢芸妓『お稽古風景』見学のお誘い」に出かけた。
上の写真右の建物が会場の「主計町料亭組合」。玄関のポスター。
ここ主計町は,高校合唱部の同学年の指揮者だったS々木君が,まさに主計町然とした茶屋に住んでいて,何度か訪れたその住まいを思い出せず,あの頃あの時の私すら思い出せない。
そんな町で過ごした伝統芸能お稽古の時間,貴重なひと時でありました。
海の日(16),第60回の節目となる金沢市中央公民館合唱団(中公)の定期演奏会に参加した。
私は,全4ステージのうち中公の花形ステージである第3ステージ「夢で会えたら 逢いましょう」は休んで,残り3つのステージに上がった。
練習不足は如何ともし難くハーモニーを崩した私でしたが,それでも現状のベストを尽くしたと思うが,指揮をされた朝倉先生・辻先生お許しを。。。
このところ飲み会が多い(もっとも一人飲み会もありますが...)。
週末の金曜(20),大阪市北区小松原町(東梅田近く)「焼肉一丁」阪急東通り店で,60坪の日本庭園を眺めながら黒毛和牛を堪能してきました。
中公の演奏会前に来るべきだった。精がついたがいね!
約17日間の空白時期にいろんなことが起こっていましたね。
台風一過の大雨による被害が九州を初めとして,全国各地に大きな爪痕を残し,今なお雨が降り続いている。
政治の世界では,バカばっかりの民主党内紛劇による視界零。
この間も私は,6月24日(日)に「もりのみやこ合唱団」のステージで歌ってましたし,29(土)に大阪で新人歓迎会にも出席していました。
この時期の歓迎会というのも変ですが,今時の若い人は我慢が足りないようで気に入らぬことがあるとすぐ辞めてしまうようです。
そしてここは,塚田牧場(梅田阪急東通り店)という宮崎名物「じっとこ焼き」に挑戦です。
地頭鶏刺し,鶏とアボカトのわさび醤油,手羽焼き,むねみ,そして冷汁(右写真)。
「冷汁」は,宮崎の夏に食べる家庭料理だと店員さんが説明してくれましたが,すり鉢に炒ったゴマや焼いた魚を入れてすりこぎで砕いて,豆腐に輪切りの胡瓜,千切り紫蘇に茗荷などを入れて冷やしたもの。
これをご飯にぶっ掛けて食べたのですが,何が美味しいのかサッパリ分かりません。
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